忍者ブログ

人生日記511~

日常を書き殴っている日記。たまに写真あり。 書いてる人は緘黙症、これを直すのが静かな目標。

[1] [2] [3] [4] [5] [6
2013'12.07.Sat
今日のバイトも・・・

久々に思ったぞ 「まだこんな時間か・・・」

いや本当にこれ久しぶりだ…


はああああ12月・・・逆に暇だと・・・?


はあ・・・・

まだだ・・・まだこれからだ・・・


そして進展・・・

テニス部2がKさんにじゃれてるのを見てしまった・・・



・・・・・・

つまらない男だな君は。


Kさんは、その移り気が寧ろ面白いが、

キミはつまらん男だな・・・


くっそが

しかしまぁ、大体予想の範疇だったことから、ショックというのはそれほど大きくなかったかな。

しかし手が冷たくなった。
血の気が引いた そのせいか?

気温は1度と ここ最近では1,2度高い程度



まぁ Kさんが、なんというか、相手に完璧を求める とかそういう性格という推測はこれにて断たれたと言ってよく、
では、なぜわしが失望されたか?と考えたとき
答えは一つ


緘黙症^^


また緘黙症を語るエピソードが一つ、完成してしまったか・・・^^
もう少し 類似例が欲しいな・・・。


しかしながら 寡黙、といいますか、静かな性格というのは、わかったうえでのことだったのは、ほぼ間違いないはず。

ではどういうことか というと


Kさん 「はああああああ 何コイツ。ここまで喋らないとか想定不可」


という、緘黙の力を思い知ったというところでしょう
想定できないほどかねぇ・・・緘黙症の緘黙具合とは。
わりと話した方なんだが。


しかし、なんというか、
緘黙が素ではない というの、僕は理解してほしかった。

抑々、一緒に映画見に行ったくらいで、それまでほぼ一言も話してないのに急に流暢に会話できるようになると思ってんのか?バカたれ・・・・
(この一文、良いと思ったので、脱緘黙カテゴリにしておこう)

所詮、その程度のコミュ障か、あなたは。

緘黙・・・理解されないな。

いや、理解しろよ。コミュ障なら理解できるだろうが…

媚を売った打算的な文が多かった。


素の自分、自分でもよくわからないが、人並に明るい性格だと思う。

緘黙の扉を開いていく楽しみ、あると思うがなぁ・・・


白銀鳥相手の緘黙度を0とすると

マクゴナガル先生 20
一般的な老人 30
面接の場など 40
親 80
同年代 初対面 100
同年代 顔見知り 300 
同年代 親しげにしてくる人 800


という数値があるとすると、初対面にやや近いKさんだと150くらいかな。

家族で言うと、姉なら500くらいかな


この数値が下がった例はあるのか? というと

ないかな?^^;


あるかなぁ。
扉を開いていく楽しみ・・・
閉じていくのはあるが・・・

まぁ、親に対しては若干開いて言ってるような・・・?

数年かけてね。



うーん^^;

まぁメール いいよ
多分 緘黙の扉を開くのに有効


その好例になりかけたのがBI という、大学入学時に多少話した人だが・・・


この人に関しても、やはりダメだった。


まぁいいです



この間、Kさんを無視したように誤解されそうな動きをしてしまったが
しかし今日 指示を仰いでくれて嬉しかったです


そしてなぜこれを忘れていたんだという、恐怖の体験をしたんだった今日。


これ・・・本当に 怖かった。。。


万が一を考え具体的には書いたらまずそうだが、わざとこれをやったとしたら 確実に はいクビ さようなら という程度の出来事・・・

わざとじゃない・・・・・・・・・・・・・・・
事故だった・・・
怖かった・・・・・・

報告した方が良かったのか・・・・実害などはなかったものの・・・


じっさい ふざけて危険行為やってるアルバイトいるが、それの比じゃないくらい危ない行為だった・・・いや事故だが

じっさいこのアルバイト・・はぁ・・これがリア充というのか・・・非常に迷惑・・・小学生のノリと言ってもいいバカども・・・
小学生・・・
例の、去年も色々やらかしてくれた人たち
今年はまともだな と思っていたがやっぱだめだ


そしてどうしても、何もしない時間が出てくる


わしでさえ 何をすべきか と思わされる暇具合だから 仕方ないとすら言いたくなるが、

そんな中 社員も誰も彼も
Kさんも そういう一人だった

もちろんわしは 何もせず立ってるとか そういうことはないが

しかし今日のKさんは 色々やってたように見えた

感心な心がけである^^


まぁ、前から わしの行動に倣っているように見える行動がままある。


それで正解~♪^^



PR
2013'11.28.Thu
さもなんてことのない態で、異性に声をかけている姿に、よくあんな下卑た行為ができるものだなと、ぶってやりたくなるくらい、浅ましく、発散される雌の体臭にすがるその姿、私にとっては小賢しい。だって、下心なしに話す人間があるでしょうか。きっと例外なく、人は見返りがあるから忍従するのに、自分は見返りがなくても、なんていうような、嘘つきだ。全部ウソ。
 ふとわからなくなる、私がその雌に嫉妬しているのか、男に嫉妬をしているのか。その様を見た瞬間、私の中に火がついたように、憎悪が生まれたのです。憎らしい。それを紛らわすために、必死に体を動かしても、ただその一瞬だけが脳裏にこびりつき、私を絶望させ続けました。この世への絶望、自分への絶望、彼女への絶望、溢れかえらんばかりに、絶望は憤りを生んでいました。
 半ば被害妄想であることは、きっとわかっている、わかっているけれど、いや、きっと違うような気がして、でも私は問いただす勇気なんかないんだ。嫉妬の矛先はわからないけれど、怒りはただ彼女に向っているのがわかる。どうして騙したんですか。それとも優柔不断ですか。誰でもいいのですか。その軽薄な心に軽蔑することで私は自己価値を保とうとし、私が軽蔑されたという妄想から逃げているんだ。

 今、私の目の前にある7本のコーラ。ぜんぶ、5口くらい中身が残ってる。気が抜けたのは飲みたくなし、新しいのをあける。全部飲む気にならずに、残しているけれど、このコーラが私の半端さを象徴しているかのようで、とても処理の面倒なこの7本は、私の行為の害悪を我が身に突きつけているようで、私の行為は中途半端で間違っているんだ。
 いつだって慎重に生きてきた積もりなのです。そうしたら、降りかかるものは、そうしないより一層痛く感ぜられるような気がしてなりません。縦しんば慎重でなかったとして、という例え話しをしてみても、私にそれを知覚せられる手段はなくって、無いもの強請りに焦がれてるだけなんだ。
 ああ、もし、もしもと理想を掲げるのは、はしたないことなのでしょうか。そんな考えを持つことは罪悪かしらん。もしあの時こうしていたら、と思うことと、もし今からこうしたら、ということにどれほどの差があるのでしょう。不可能と可能、でも理想論は理想論、掲げたその手はきっとどっちもできやしないことだって、悔しさに燃えて握りしめられているんだ。何も違いやしない。

 顔を合わせてから、幾か月の流れの後で、あなたは、私に話しかけた。それだのに、そんなものだったんですか。あなたの遊びか何かだったんですか。私など、私である意味はどこにもなかったんですか。結局、軽はずみに過ぎなかったのですか。
 私にとってあなたは、眼中になかった。それでも爾来、あなたの親しみの情に触れて私の心は揺らされていたのに。あなたの心が薄っぺらだなんて、思いもしなかった。もし、あの時、あなたの心が私のそれのように揺れていたのなら、お互い様と言えるのでしょうか。この美しい昔を笑えばいいのですか。
 私は恥辱に塗れた。浮かれた自分の心を蹴りたくなるくらい、あなたに騙されたことを恨んだ。あなたはどうなのですか。すべては初めからの考えのうちで、あの時の自分を恥ずかしく思う気持ちの一かけらすら、あなたは持っていないのですか。心変わりで、私などに目を向けていたことに、せめて恥辱を味わえ。
 もう、あなたがそこにいるだけで、あなたに怒りを感じてしまって、いなくなればいい、なんて思う。いなくなれば、儚い夢だったって忘れられもするのに。ずかずかと私の心に入り込んでおいて、私の安寧を奪って、我が物顔でそこに居座るのはやめて下さい。抑々、あなたなどに出会ったのが不幸の始まりで、いじらしいなんて、あなたを見ていた時さえあったのに、今は、悪魔。

 もし、もしもこれが私の一端の被害妄想癖の産物で、あなたに失礼を浴びせているだけなのだとしたら、それはどんなに綺麗だろうという、これもまた一つの妄想を私は捨てきれずにいる。もしそうであったなら、あなたをどんなに好くか知れない。
 私も嘘つきでいい、だから最後に、私の心のうちで起こる妄想劇に悲喜するのはやめて、現実のあなたに、恥辱を御頂戴願いたいと申し出て、一つ理想論から離れてみようと思う。






太宰よ・・・。
太宰の女性独白調文章面白いです。それをちょっと意識してかいてみた。
まぁ、一部 太宰氏の表現、そのまま使っているところもあるので、まぁそれはご愛嬌と言いますか。
後半はちょっと情が入りすぎて、文体が変わってきたか^^;


最後は何言いたいのか 書いた直後にわからなくなったw

妄想、もしこうしたら という思いではなく実際に行動してみよう という直接的な意味で書いたんだったかな。
まぁいい

2013'11.27.Wed
昨日、また風呂で思慮を重ねたが、

まず、緘黙の原因になること、または緘黙を悪化させることを考えた。


・緘黙者の言葉、発言、行為、存在等を否定すること。


具体的には、声や発言を笑う、または怒る。

これにより、私は家庭内緘黙になりました。


「声が小さいんだよ!」 というような注意、「声w低いw」 というような笑い、
「あ?何言ってるか聞こえないわ^^;」 というような煽り

こういうのは、まぁ、考えるまでもなく 緘黙を悪化させる、または緘黙を生じさせる原因になる。


行為についてそれをやると 「緘動」 を発生させます。

例として 「歩き方wなんかおかしいだろw」 と笑われると人前で歩けなくなる




・緘黙に対して興味津々な態度を取る


これは結構ありがちだと思うんだよなぁ

「なんでしゃべれないんだww」 というような興味から 「あ  と言って」 というようなのは 緘黙者あるあるだと思うんですが、これは緘黙を悪化させます。

ただし、好意的な場合に関しては、緘黙のまま良関係になることはある
それが高校の時のクラスでしたね。
緘黙は悪化というか打開できない状況にはなったが、良かった。

今はなしているのは解決法の記事なのでこれではだめですが。

まぁ、筆談をさせる というのもこれに当てはまるかな。
僕も一度経験していますが。

脱緘黙のためには悪影響です。



どうすれば緘黙や、まあ、タイプは違うが関連するコミュ障を解消できるか? その解決法も考えた。

確かな答えは出なかった。

とりあえず時間がかかるというのは確かなこと。


重要なのは最初の一歩、
緘黙者に一言話させれば、これは大きな一歩で、そこから一気に改善へ向かう可能性があると思います(実体験してないので、確証はないが)

では、その最初の一歩をどうやれば・・・。と。


これはまぁ^^; 今まで何度も何十回も書いてるな、最初の一歩だ とは。


不安が緘黙の究極の原因なのだから、不安がなければいい。

要するに 「何を言ってもだいじょうぶだ。怒られない、笑われない」 という安神があれば、
一言を発する最低条件を満たしている。

完全なる包容があって始めて緘黙解消への第一歩が生まれる。



しかしながら、親などは 「今では」その完全なる包容に近い物があると思う。
しかし、一歩踏み出せん というのは やはり過去の傷というのが大きいのでしょう。

うむ・・・。
要するに、自信を失ったのだ。


完全なる包容があったとしても、一歩を踏み出せないケースです、これは。


一歩踏み出す。


これは バイトで無線を使うのに、実行しました。


で、結果は 返事がもらえたことで 自信がついた

その後、今までは全く使ってなかったのに、使うようになってきたのだ。



これが一歩の効果です。


一歩踏み出すことで、たいていの場合、自信が得られる。

好循環へ導かれるのです。

自信が生まれるから、もっと話そうとする、
もっと話せば 喜びや楽しさが会話から得られる(はず)

好循環だ。


つまるところ、過剰に不安がってるんですよね。
万が一の悪展開を恐れてる。

一歩踏み出せば、そうではないことがわかるのだ。そして自信になるのだ。



完全なる包容と言っていますが、解決の核になるのはここです。

カウンセラーさん、それが出来るかね。

おざなりに話聞いてるだけじゃダメなんだ。

本気になれ。


実際

そういうカウンセラー 多いような印象があるぞ・・・体験談を見る限り・・・

何がしたいんだ そういうカウンセラー

まぁ、「はぁ・・なんで毎日毎日こんな暗い話をしなきゃならんのだ」 というような疲れはあるのかもしれんが・・・



ここで、レベルを下げて、多少話が苦手 という人を対象にすると
その包容もある程度 具体的に見えてくる

そこにあるのは「根気」である。

長い時間をかけて、「この人なら大丈夫だ」 という安神感を生まれさせるのだ。

ニッシーDEを思い出す。

彼の全緘黙こそは変えられるものではないが、接していくうちに 向こうから? 反応してくるようになった。


これも きわめて大きな一歩です。特に全緘黙者だとね。
まぁ彼は緘黙ではあるが 面白い人だったからな



緘黙者またはコミュ障が現実的なレベルの被害妄想で恐れるのが 話しかけても無視される、生返事、適当な扱いを受けることである。

これはかなりのショックです。悪化します。


緘黙者の数少ない発言はすべて拾うべし。
その発言や緘黙者の一切について否定はしてはならない。



次に、安神感を生まれさせる方法について書いていきます。

それは、第一に緘黙者に話しかけることから始まる。
話しかけずとも、何か関わりを持つ。

まぁ、当然ですが、この時点ではまともな反応は帰ってこないでしょう。
首を振るか、もっとひどければ視線を向けるだけとか、それすらしないかもしれない。

コミュ障レベルで言えば 小さい声で「はい」などの返事や、小さい声で回答するものがいるでしょう。

執拗な関わり方というのは、状況や、緘黙者の性格によっては嫌われる。

緘黙者は基本的にプライドが高い と思う。だからこそ、話さないのだ。

そのため、関わるあなたを見て、コイツとは関わりたくないと思われる可能性もある。

まぁ、そうならない前提で話すが、その場合でも、自然な関わり方をする中で 信頼させることは可能かと。

学校ならそういう機会もあるでしょう

基本的に、関わる以上、会話は質問形式になるかと思う。

その際注意してほしいのが、クローズドクエスチョンの形式で行うということだ。
イエスノークエスチョン

頷くか首を振ることで答えられるものです。
緘黙者であっても、それならできるという人は結構いると思う。僕もそうです。

それによって、「対話」が可能なのだ。
何が好きとか、そういうのは 「しゃべれん・・・」と思わせ、緘黙であることを認識させるだけだ。
OOって好き? という聞き方をするのが有効だ。

重要なのは、緘黙であることを全く意識しないで話すことだ。
しかし同時に、緘黙に配慮した話し方も求められる。

それを長く続けていれば、あるいは話しやすい内容や流れであれば 割に早く ぼそっと 緘黙者が何か言う可能性がある。
その際も、「しゃべっただと。。。!!?」 と驚いた素振りを見せたら終わり、その発言に自然に反応してあげるだけでいいのです。

(まぁ、この点については賛否があるかもしれん。まぁこの記事全て ワシの考えを書いているだけなので。)

まぁ、「しゃべった!」 ということに対してリアクションを大きくするのではなく、その内容について 「やっぱりそうだよねぇ?!!?」 と大きな反応をするというのは これはいいね。
これはいい。

緘黙者が自分の発言に自信を持つきっかけになる。
もちろん 「そんなに大げさに反応することじゃないだろ・・・」と思われたら終わりなので、自然な範囲で。


で、質問の頻度 というのはどうすべきか。

これに関しては、わからんが
質問して、その答え(うなずく、首を振る) に対して 「そうなんだ。」と 自分の考えを話す という繰り返しがベターなのではないかと。


質問の内容としてはどのようなものがあるか。

禁忌としては 緘黙者が気にしていると思われること

「うちのクラス、性格暗い人多いよね?w」

緘黙者 「グサ・・・自分のことか・・」

あるいは 緘黙者のプライベートというか、オープンQになるが 「休日何してるの?」 というのは
緘黙者は嫌いな人多いと思われる。

オープンQの時点で嫌いだろうが 内容も嫌だと思うんだよな。
否定される要素が高いと警戒しているから。

無難ではあるが、天気の話しの差しさわりのなさというのは緘黙者にとってもだと思われる。

「暑いね?」
というのは、接し始めとしては、良い と思う。

タブー→「暑くない?」

これは本当にやめてほしい。 なぜなら 頷くだけではどっちとも取れるからだ。
声の出せない緘黙者はこれに応えられないのだ。


まぁ、あなたが緘黙者に嫌われなかった場合は、ほぼ独り言を言ってるような感じで
話しかけることも、有効だと思う。

行きすぎると 喋れないことを意識させてしまうが


話しやすい空気を作る。

もしくは とにかく一人で話すことで、緘黙者の話しやすい話題に行きつく

そうすれば 緘黙者が喋るかもしれん。

緘黙者にとってはここが重要なターニングポイントとなる。

嬉々としてその言葉を拾いましょう

ここが一番重要だ。

ここでもし 「は?それは違うだろw」 とか 「あ、そうだね」 とか 「変わった考え方だね^^;」 などと言ったらすべて終わりだわ。


まぁこれは会話の基本として、本で見たような気がするが、
内容を否定するにしろ、まず肯定のクッションを置いて。


「自殺者年々増えて言ってるけど、やっぱり苦しい人多いのかなぁ」

緘黙者 「はい。自分も人生苦しいです。死にたい」

「いいねぇ~wそうだよねw自殺いいと思う^^」

緘黙者(死のう…)


まぁ、苦しみへの対処というのはまた別問題だが


「そうなのか。なるほどね。」 と言った後で 自殺はどうのこうのと話すのが最低限のところだろうか。


苦しみの打ち明けに対しては、同情がベスト というような話をよく見る。

自分の場合どうなるか?考えてみる。


黒鴉 「話せないのが実は苦しい 何年も苦しんでいる」

カウンセラー 「わかるぞ。私もそういう時期があった。しかし、話す努力をすることで変われるんだ」


黒鴉 「努力してんだよコラ。」


難しいな。


黒鴉 「髪が少ない。」

カウンセラー2 「見てもいいかい?ああ、なるほどね。確かに、そうかもしれない。周りの目が気になったろう。大変だったろう」

黒鴉 「うう、うう・・・」



うーん。わからん^^;


これはまた別問題なので放置だ。




ありそうなパターン


誰か 「黒鴉くん、車買ったって!?いいねぇ~!!!?」

黒鴉 「はい 色が気に入っています」(小さい声)

誰か 「色か!!?なるほどね!!黄色好きなの!?」

黒鴉 「^^」

誰か 「そうかぁ~。俺は黒が好きだ。闇の色・・・ヒヒっ」



このような会話はいい




まぁ、親身になった発言というのも重要だろうね。
関連して、緘黙者のことを理解する、忘れないでおくということ。

実際、 黒鴉 「前も言ったんだがなぁ・・・」 と思うこと 結構ある。

しかし、緘黙者を覚えておくと  黒鴉 「え!?ずっと前に軽くいっただけなのに、覚えてるの!?感動した…いい人だ」 となる。



さて、重要な問題として。


誰か 「そういう君が、このような過程を経て、一歩を踏み出した相手はいるのかね?」


いません。







いや~
どうだろう?


いないと思います。


高校の時は、緘黙に甘んじて、しゃべることがなかった。

金タオルは例外かもしれんが。しかし中学校同じだったしなぁ。



しかし、上に書いたような話し方をしてくれる人 たくさんいた印象です。

ではなぜなのか。

 「喋らない人だ」 というイメージが固着してしまったためだ。

これが固まるともう終わりだね。

いや、ここに書いているのは その状況から話せるようになるためには ということなんだけど、

いや、やはりカウンセリング
一対一が重要だわ。

クラスでは、そういうのはなかったと。




まぁ、思いだして、大学に入ってから そういう人が一人いました。

マクゴナガル先生。

この人は本当に話しやすかった。

もちろん、わしの場合は 敬語で話す場面では まあ話せるというのはあるのですが、

それにしても、冗談めいたことを言えるまでになったのは、緘黙以来 この人が初めてかもしれん。


なぜ話しやすかったか?

ゼミのT先生と違い、こっちの話を聞いてくれる。
聞いてくれるというか、話す機会をくれる。

そしてしっかり聞いてくれて、それについて否定しない。これもT先生と違うところだ。

穏やか。こちらの話を聞いて、拾ってくれるという安神感があった。

黒鴉 「風邪ひきましたよwさすがに5度で半袖は^^;」

マクゴナガル先生 「わっはっはw」


というようなはなしもできた。

これが良いモデルだ。


まぁ、実際のところ、話を聞いてくれる人というのはたくさんいるだろう^^;

バイトでもかみさまもきいてくれる感はある。

しかし、それ以外の場面というのが重要なんだろうなぁ。

それ以外で気に障る点があるんだわな。それで 安神できない


その点、マクゴナガル先生はいつも穏やかなので安神できた。


もちろん、年が離れていることも話しやすい一因だろうし、また、わしの性格と相性が良かった ということもあるかもしれん。

しかし、緘黙者は基本的にこのような人に信頼を置けるんだと思うね。

年も人によっては気にするだろうが、本当に良い人なら、年は関係ないだろう。


ではなぜそういう「話を聞いてくれる」という信頼が生まれたのか。

それはやっぱり、最初のほうで 自己紹介だかなんだか、話す場面があったんだろう、
そういう場ではわしは話せるので、話した。その時の印象が良かったんだろう。そこで信頼が生まれたのだろう。


これがない、普通の人とのかかわりは厳しいところがあるね。

まぁ堂々巡り、最初のほうに戻るだけですね。


根気だ。

2013'03.11.Mon
当てはまる 当てはまるぞ・・・
という文章が列挙される前の部分に

「これが当てはまる人は 自分が立派で価値のある人間だと信じきっている」


と書かれているが

いや、ここと、その列挙されている文章だけを読んだだけならば 何言ってんだコイツと思っていたかもしれない

しかし、全部読んだ後に 読み返すともう 盲信していたのかと思うほかない。
盲信に気付いた と言えるのだろうか、いやまだ納得はできてはいない。

盲信者だったか



真実の自分、
見栄に因らない欲求、見栄が動機でない欲求
というものを見る方法として
快 不快の受信を妨げているものを知ることとあげられている
知るための方法は

苦手な人 嫌いな人 なぜ嫌いなのか苦手なのかを考える事だと書いてた。

まぁこれは

他の本かなんかでも聞いた話だ

嫌いな人の特徴=自分も同じだ=自己嫌悪ということ


嫌いな人、苦手な人の 最近の代表格はあれだね
尋ねたら、冷笑されたような出来事だ。
前書いたやつ。

普通に聞いた。すると軽くあしらわれた。小ばかにしたような声と顔でした。

普通に聞いただけで馬鹿にされるだと?と ショックを受けました。


昨日もあった。嫌な出来事が。


バイトにて、  くろ鴉 「これ一緒にやってもらえると助かるんですよね^^;」

誰か 「そんなの俺の仕事じゃねーし!!!!!!!」


黒鴉(怒ることか?)


まぁ、言い方が悪かった、誤解させたのかも とは思いましたけどね・・・
こういう人なのか と思ったので わしはその場から去りました。


あとは バイトにて最も苦手なアイツだな・・・
最近はいないけど、

まぁこの人の特徴をまとめると まぁ・・・
人によって態度変えすぎ。

すぐ怒る。


あとは・・・
同期社員ね・・・

最初は 「すげーいい人だwwwwwwwwwww」 と好きな気持ちがあった・・。

しかし最近は 「何でもかんでも一人でやりすぎだろ・・・人に頼ることをしない。いや、頼る人が限定的なんだよなぁ。」 と思ってる。
限定的、とは やっぱり人によって態度を変えてるというのに近いな。


あとは かみさま 「黒鴉くん」  くん・・・馬鹿にしているようにしか聞こえん・・・・・・・・・・・・・・
バカにしてるは言い過ぎ、いや言い過ぎでないかもなぁ。


まぁ逆に

他の人だったら ダークな人に対し 「暗すぎだろおい・・・・・・」 と思うような人に対しては
わしは ダークな点に関しては そう思わない ということもあるね。
わしがそうだからねぇ わかるんだ 気持ちが。 ということはこれがわしにとって自然な行動なのか。


嫌いな人ねぇ・・・
一緒にいるのが苦手な人

人と関わらんから これくらいしか思い浮かばん

しかし、これらすべてわしの特徴だと?


ドクン

人によって態度を変える
すぐ怒る
一人で何でもかんでもやる 人に頼らない
普通に話しかけられただけで、ごみ野郎を冷笑とともにバカにする


あ、わしだ。

気づけて良かった、 と思うかね?

これを直す方法が知りたいんだが。
これを知る方法って書いてたっけ



これをやめれば、本当の欲求による行動だけするようになる か。(快の行動)

まぁすぐ怒る というのはある

まぁ結局 人によって態度を変えてるってのが 一番大きいっぽいな。

人によって変えるほど人と接してない気もするが 数少ない部分ではあるかも

いや
あるなぁ。

あるわ。


忙しい、を言い訳に、適当に指示したり、 ということあったなぁ
他の人 魔王やらかみさまなど偉い人であればそんなことはするはずなかったからね。

いや、その時 あるいは直後に 反省というか 気づいてはいたよ
いたけどね…

行動に出してないだけで、心の中では もっとあるのかも
心によって態度を変える、人の評価をしているということか

いや、
あるなぁ^^;

最近大学行ってなかったから忘れていたが
大学での自分が正にこれなのかも。

実際に接することがないから気づきにくいが、心では人のことをいろいろ
言ってるのかも


というか社員になったことで 態度変えられる ということ多いからね・・・

バイトの時→ 誰か 「おい!!!!!!!!!!!!!違うだろ!!」

今→ 誰か 「あ、それやらなくていいよ^^今日から変わったからね^^」

この人は本当に・・・
他にも数人変わった

かわりすぎだろ と思う



まとめると

快か不快か(見栄か自然か)の判断を 妨げているものを知る。
それは醜いものだ。それを取り除く。
その上で、判断する ということか

まぁその妨げてるものというのが さっき当てはまるw と書いた 優越志向 思考の停止 なんですね。


優越志向 例えば、わしでいえば、服。
これによって、他の大学生に優越、不安の種を取り除くことに成功していた時期もありました。
実際に白銀鳥に対し そのことを2度ほど話した。

しかし今はw
米軍実物等 服を気にせずとも全然平気になった。(全然は言い過ぎだ)
そこには 服は着ずとも、持っている という自分がいるという優越感がある。
あ解決してない。
まぁどっちにしろ優越志向です はい

自己顕示欲が強い、目立ちたがり屋、・・・他人に注目されたい・・・・・・・・・・・・・・・

と言ったところは読んでて痛かった。



いや そんなことはわかってる
というか見栄が動機って 最初から書いてる

しかし その見栄が
この著者によって云々言われていることだけが問題なんだ。
不自然な生き方、だとか。

そして これらが醜さ ということ。


思考の停止を防止するためには、 と書かれているが。
こここそが、一番重要な点だろうと 読み返して思った。

要するに、 わしの行動の起因するところを知ることが書かれている。

と思ったが、 これはとっくの3日前にやってることで
この結果が 見栄だった だからどうしようという話なんだよ。
本当にもう

どうしよう と、その問いの答えが、この著者によってボロクソに言われてるから困ってるというだけに過ぎないんだ。

自己欺瞞、自己正当化を何とかしようと今頑張っているという状況だ。

もしくは動機が見栄の努力も向上心(自然・快の行動)になりうる、という結論が、正当化か自己欺瞞で、これを以って思考停止したのが問題かね?

では 考えよう。
何故 動機が見栄の努力も向上心になりうるか?
向上心とは 不快の次に快がある 人間的な行動と この本にはある。人間的自然な行動と言えるのだろう。
換言して、「不自然な行動も自然な行動になりうる」 ということだ。これはなぜか。

なりうる なんて書けば どうにでもなる話だが、
動機は何あれ、わしがここで書いてるのは要するに 試行 的な意味でも通ずる。
つまり 快か不快か試しているようなもの。

それがやってみたら快だった  なら向上心だ。 と言えるわけだ。
不快ならやめれば良い。

A.なりうる というのは やってみなければわからないという意味。やって快ならそれは向上心と言えるから。

そもそも、根源的に見栄だと言えるだろうかという問題。
ランニングについては、ふとしたことで走ったら 意外と面白かった 走ろう となった部分も大きい。
元々 見栄により走ろうと思っていたのもあるが。

何故走る?に対しての答えが見栄で、
走ってりゃ 見栄でなく向上心になるという話だよ

いや 向上心 というのは 段階的には そうではないのか

今気づいたが、 向上心という言葉が そもそも間違っていたんだ。


なるほど
気づいたぞ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!


先日のはてなのエントリで惑わされてた。

あれには 虚栄心=向上心 ? どうなんだ!? というような話だったが
あれに惑われてた


向上心に変わるのではなく、

心底楽しめるものに変わるのだ。

そもそも 「自分がしたいこと」 として、趣味を考えた。
根源的には見栄だが、
したいこと  を考えてないわけではない。

例として 映画は
そうだな、かつての1月1日からの2週間くらい映画見まくった時、あの時は確かに見栄はなかったはずである。
その後 1年後か2年後か知らんが見栄としても有効だな として映画を利用していたが。

したいこと というよりは、できる事 として考えていたかもしれんが・・・
走る 映画など アロマもか
サボテン ^^;


虚栄心は向上心か というのに惑わされすぎてた。

いや さも騙されていたかのように書いているが、正に自己欺瞞を盲信してたと言えるんだと思う。

自己欺瞞に溺れた結果がこれだよ
何も見えなくなってた

正しくは 「動機が見栄の努力も、自然に楽しめるようになりうる」 だ。


言い換えて 「動機が見栄の努力は見栄を意識しなくなりうる」 だ。


何故 向上心だと思い続けていたのか。
その行為を行う根源は何か と考えていたんだろうな。
いや、その行為が自分にどう寄与するか だ。

これに対して、単純に 「楽しいから」 と考える事すらできなくなっていた

ならばもう 向上心は必要ない。
スコアや数字に対してだけ使えばよい。
ランニングでのタイムとかね。

別のページでは 見栄とは他律的発想から生まれる、つまり そこに「自分が何をしたいか?」という意識がない。
とある。
言わせてもらえば 自分が何をしたいか という意識するものも 何らかの意図が入ってると思うんですよね。
わしには 無私の趣味がある。
ランニングについては 「何をしたいか」 という思考の結果でもある。


逆に、無私に生きていたら どうなるんだ。
それを埋めるために 見栄を動機に 動こうとしてるんじゃないか
無私に生きていたら

というか 別のページ 最初のほうのページで
もっと明確に 快と不快について書かれていたか。




「行動に心底の快が伴えば自然の摂理に従うもの。不快はそうでない。
それが人間本来の価値観」


ノーベル賞という名誉欲のために研究する という不自然の例があったけど
名誉欲が何に起因するか そこを考えたら、自然になりえないのかね。

わしは思う

つまらない見栄と大義名分を持つ見栄があるのだと。

見栄 という言葉が悪かったのかも



立ち返って、
元々は、コンプレックスの話に過ぎなかった。
いや。見栄と書いて始まったかもしれんが、
コンプレックスから始まっている。

要は保身なんだな。

見栄 とは言い過ぎだったかも

保身のための行動という意味だった。今まで書いてきた見栄 とは。

趣味なども 結局は保身の域を出てないもので、

見栄 という言葉を使ったのは いつものあの癖だ。自分を卑下した書き方をするあれ。

見栄と書けばよりクズに見えるだろうと。


コンプレックスの隠蔽とは書いた。それを見栄じゃないとは気づけなかっただけ。

保身することはは見栄ではないと言えるのか。

見栄とは、より上へ
保身は0へ というところか。


本当だろうか

何故かを考える。

何故 趣味など 身だしなみ 人格成長という 脱緘黙の3本柱を意識するか。
脱緘黙、要は精神的社会復帰

そしてランニングに関しては 間違いなく 本を読んでて 楽しそうだ!とも思ってる。
同時にやってみたい! という欲求は確かにあったはずである。自然な欲求である。


だから もはや既に 自然な行為になっているのではないかと。


動機は見栄だ

しかし、 「見栄のための行動としてやってみたいこと」 と複合的なものだった
やってみたいことであり 見栄であった。

そもそも

純粋に研究を楽しんでる研究者の例でも、賞をもらう他の研究者を少しはうらやましく思うかもしれない と書いていただろう。
その 「少し」は 見栄とか虚栄心とか 名誉欲が疼いてるんじゃないのか? なぁ

どうなんだ。

純粋に研究を楽しむ、自然者が、不自然な欲求の片りんを垣間見せているんじゃないのかね



まとめよう。


自然な欲求による行為でも、時に虚栄心を孕みうる。



   完


はい

   

わしの見栄は自然な欲求でもあった。
自然な欲求であった。見栄でもあった。

コンプレックスの隠蔽のためでもあった。同時に自然な欲求でもあった。
楽しみたい、上達したい(向上心)

そうだ

例が適当かはわからんが、単純に見栄や保身「だけ」のためには努力をしないという出来事が既にあったなぁ。
なんかの発表やらで 面倒なので適当にとか そういうのあった

楽しみたいとか そういう思いなしに 見栄だけではやらんだろ
見栄とか虚栄心は付属的なものにすぎなかった。


そして優越志向の説明のところは 地位やら目に見えるものに執着、優しさなど目に見えないものはあまり関心を持たない とあるが
そもそもわしが気にしてるのは 後者だな。
身嗜み、人格成長の2本だ。
趣味なども、目に見えない優越志向といっていいか?


優越志向の説明では、何故優越志向するかという点で、「不安を取り除き安心するため。しかしその安心が欲求の根源、快というわけではない」 とある。
わしのコンプレックスの隠蔽とは まさにこれに該当するだろう。
しかし、それだけではないんだなよやはり思いました。
同時に、楽しむためとか、0にするだけでなく +の理由がある。

これはまた 違う例かもしれんが、
例としてハゲ

何故ハゲを隠す?

ハゲ 「ハゲ恥ずかしい」

なるほど コンプレックスの隠蔽だ。
しかしまだあるだろう。


ハゲ 「禿てないほうが見栄えするから」


それが+の理由だ。


というか コンプレックスの隠蔽とはそれ自体は見栄ではない
常に虚栄と一緒に行われるから紛らわしい。
そして、それとともにプラスの理由があるんだ。


まぁ身だしなみ 趣味など 人格成長 それぞれで違うか

コンプレックスの隠蔽が含まれるのは身だしなみだろう
趣味などは それ自体(カテゴリ)がコンプレックスの隠蔽のようなものがあり、楽しむところが大きい。
人格成長は難しいな。強者の見栄


身嗜みとは、動作や表情なども含めて、直接見えるのをととのえること。
趣味などは 特定の他者に見えない部分。
人格は精神的な部分、社会経験などによる

コンプレックスの隠蔽
自然な欲求を満たすこと
付属的な見栄

そのための努力なんだ。
見栄だけではない。



では 見栄だけの行動ってなんなのか というと


読書^^;


いや


一部の本だ!!!!!!!!!!

読んだ冊数を増やすために 面白くもない本を読んでいることが あります。

これが完全な見栄のための行動だ。

読み終わっても何の達成感も充実感も感動もない。 これだよ。これのことだ、見栄とは。
見栄だけの行動とは。
まぁほんの一部ですよ 98%の買った本は楽しんで読んでる。

(冊数を数えてるのも見栄だが、これも 楽しさを持つ自然な行動でもある複合的なものだ)


逆に言って、
この最も顕著な例がわかった今、
他のものは 「見栄だけではない」 ということが明らかだと知った。

良かった。

そして

その様な本は、読んでいる途中で既に「読みたい」という気持ちは消滅する。

それに対してだ。
見栄だけでない快の行動は ただ単純に 「したい」 と思うものかどうかという点だけで判別できるんだと思いました。
したいことすれば自然という結論。





人気ブログランキングへ

2013'03.10.Sun
3日くらい前から書いている

努力の目的とは?
 ~向上心の理由~


というコーナーについて書かれているようだったので、男と女のラブゲームという本を読みました。


誰か 「小説みたいなタイトルだ」

しかし中身は違う。

まぁ途中までだが、3ページのみに わしの求めてる中身が書かれていた。

まとめると


「『快』の感情があらわれるのが自然の摂理に従った行動。見栄の行動の結果、不快にしか思わないのは、意味がないことだ」

と、このあたりについては 「心底の欲求なら「よいが」 」 など 曖昧な表現で適当に書かれてるな と思いました。

何より 例として  「見栄のため大学に行っても大きな快はない」 と書かれていたが、色々破綻してるだろ・・・馬鹿モン

そんな人間がいたら そいつはロボットだと疑った方がいいぞ…

と思っていたのですが、どうも様子が違う
つまり、 見栄というものについての考え方が わしとこの著者(岩月謙司)では 違うようなのだ。

読んでこの人の意見をまとめると、自然の摂理(子孫を残す)に基づいた努力は 「向上心」で結果として快を生む、見栄とは不快さを伴う努力 というような感じ。

わしに言わせれば その向上心は見栄なんですよね。
つまり、快があろうと、見栄は見栄だ。

というか 見栄というのは 明らかに子孫を残すための努力だというのに 何故著者はそこをはき違えてるのか。

その大学の例は 間違った努力という例だろう。


見栄とは 偽りや隠蔽によって自分を良く見せる手段だ。


ということで この前書いたように

わしは、虚栄心について、動機が見栄の努力(行動)と定める。
この見栄はコンプレックスに因るもので、つまり隠蔽対象は、数値化すればマイナスのものである。

向上心とは、数値化すれば自然数の対象を起点とし、より高みへいくための努力をしたい気持ちである。

ゆえに、動機が見栄の努力はいずれ向上心に変わりうる。


コンプレックスとは 自尊心が傷ついている状態と言えるだろう。満たされていないとも。

いずれ向上心に変わりうる とは、この間書いた 「向上の途中でばれてしまうことには耐えねばならぬ」 ということを含意しています。
その記事では向上の途中と書いているが、「向上心」という言葉に被りわかりづらいので、0に向かっていると書いた方がいいか
0になる とは 人並 ということで良い。
そして、どこから向上心に変わるのか という問題。

数値化して自然数なら 向上心にはなりうる。
しかし、その逆は必ずしも真でない。

過去の記事では「最終的にそれは見栄や虚栄心を満たすだけのものではなく、人間力として、身だしなみとして身につくものになるのだ。」

と書いていて、この段階 といってもいいだろう。
要するに 見栄という気持ちがなくなれば、コンプレックスだと感じなくなった状態で、更に上へ行きたいという気持ちになれば、その段階こそが、その気持ちこそが向上心なのだ。


動機は見栄。
それでもいいのだ とこの考えは私に勇気を与えてくれました。

ありがとうございました。



人気ブログランキングへ

2012'09.29.Sat
まぁ前も書いたっけな


声や喋り方を変える本買おう という話。


これについて掘り下げて。


まぁ対処療法ですわ


自分の声・喋り方が嫌い→余計に小さく暗い声になる→より嫌いな声・喋り方に という悪循環


今まではなぜか 「もっとちゃんと話そう」的な考え方で 現実味がなかった。


しかし今 最近考えたのは


声が嫌い→声を変えよう^^






これだよ
この考えになった

これについてもまとめた考えがあったがだいぶ前なので忘れたな

まぁとにかく 声を変える と、根本的な部分から改善していく という考え方になった。


まぁこれもダメ本の 「できることだけすればいい」 という考えに基づいているともいえるね。

「明るくしゃべるのは無理だ。しかし、声を変えようとすることはできる^^ そうすれば話せるようになるかも」と



顔が嫌い顔を変えよう^^

整形はしないが




白銀鳥 「最近君顔変わった」



何故^^;




喋る練習・・・カラオケにも効果あるかも なんちー


まぁちょうど 「自分を変える」という観点で 声について書いてる本があったのでこれを買うかなと。


まぁ、実際ね



緘黙症の根幹的な部分は この声嫌い というところにあるのかも というか

それを言い訳にしているのが根本にある。



要するに言い訳を潰していく作業だね。
できることをしていく というのは。


こんな感じで↓

緘黙カラス 「声が嫌いだから喋るのやめるわ^^」

誰か 「声変えろ」


緘黙カラス 「会話苦手だから喋るのやめるわ^^」


誰か 「会話について勉強しろ」


緘黙カラス 「自分の容姿に自信持てないから喋るのやめるわ^^」


誰か 「顔を変えろ 服を変えろ 髪を変えろ 靴を変えろ 体を変えろ」


緘黙カラス 「髪ないから喋るのやめるわ^^」


誰か 「あ・・・」







まぁ実際 体というか
筋トレという感じのをスタートしたのも 容姿に自信を持つため というのが70%というところでしょうか
100%といってもいいか 元来の腹を凹ませるというのも 容姿を変えようという考えだったし

まぁそれはマイナスから0に という考えで 今はプラスにしようという考えです。ポジティブ


結局のところ 緘黙の原因というか
喋れない原因というのは 意外と少ないように思えてきた


・声が嫌い 
→ 悪循環でより嫌いに
・喋り方(会話方法)わからん 苦手
・自分に自信がない(まぁ声も含むが、ここでは容姿や人格など)



その どれも直そうと思えば治せる そう思えるものだと気付いたね


そして自分に自信がない というのは 何度も書いている 身だしなみ 人格成長 趣味など という部分が欠如しているからだね

結局のところ 其の3つをクリアして 強者になれば 話せる状況になる 少なくとも今ある言い訳は潰したことになっているはず

という。


この記事で言いたいのは、その中でも身嗜みとしての 声や顔を変える という点に注視するという話。


今まではそれを度外視というか軽視していた

声と喋り方を学んでいこう

実践



見えてきましたね



ゴールが。

遥か彼方に 見えるよ



まぁ実際に自分の声が嫌いか というと 思い込みというのも大きいとは思う

しかし肝心なのは自信がないことなので 声が変わらないにしろ 変える努力をして自信を持つことが大事だ。




結局のところ


今までは逃げてた^^;


考えれば原因や解決法は 本とかにたくさん書いてるのに それをやろうとしてなかった


今変わっていくよ
人気ブログランキングへ
人気ブログランキングへ
2012'08.26.Sun

緘黙症について 自分について書きたいことがありすぎて
でも 脱緘黙日記として書くほどでもないことが多すぎて

緘黙メモというカテゴリーを作ろうかと思いましたが、取りあえず 緘黙メモ というタイトルにして

後々 脱緘黙日記でまとめる という形にしようと思います


http://birdsanctuary.blog.shinobi.jp/Entry/13038/


この記事。


この記事は ダメな自分を救う本の 「できることをすればよい。できないことはしなくてオッケー」 という言葉の影響と

「強くなりたい。外へ行って人生的社会的経験値を増やしたい。そして強くなる」 という考えが合流したころのものですね。



まぁ この「コミュ力」の本を買う前からやっぱり 経験値を上げて強くなりたいとは思ってたんですね。

まぁこの当時は コミュニケーションのツール(これは本に書いてあった表現を引用)としての 経験 といった部分が大きかったかな。

というか、それ以前に 自分の深化 という言葉を使ってたか。
つまり強くなるということです。



http://birdsanctuary.blog.shinobi.jp/Entry/13073/


1か月前だが、今は更に発展してるなw

しかし、1か月前から 今の考えが このように書かれていたのか。


この時は 読書(いまでいう「趣味など」) と 社会経験値(今でいう「人格成長」) と書いていたか。


今は それに 身だしなみ という部分も加わりました。




端的に書けば自分に自信を持てるようになることで、コミュ力が自然とついている ということだ。


 



読む前から 本の結論書いてるwすごい



しかし、この時は コミュ力 と書いたが 今はそんな限定的な力は求めていません。

まぁ、上の自分の過去の記事の引用の言葉でも「自然とついている」 とあるけど、コミュ力はあくまでおまけというか。

いや、おまけっつーか 強くなる段階で必須あるいは 力の必要条件



そして 其の強くなるための手段が 「とにかく外へ出る=欠乏していた社会経験を補い、ひいては人並み以上のレベルにする」 ということだったことを、その段階で理解していたか。

それは今でも変わってない部分だね。
身だしなみという項目は最近できたが。


そして、今は「外へ出る」ということが もっとわかりやすい表現でなされるようになった


「苦しむ」


ただこれだけだ 強くなる条件は

もちろん 外へ出る(=基本的に今まで経験していなかったことをやる という意味。当時の記事からそういう意味で書いていました。) ということも 苦しみの一つね。



苦しめばその分強くなる だから積極的に苦しもう!


というスタンスになりました。




まぁこのスタンスこそ、こないだの記事で書いた、「本を鵜呑みにせず咀嚼・消化する」 ということができている考え方に基づくものと言えるでしょう。
いくつかの本を読んで 確かに其れを参考にして この苦しむという考えに至った部分はあると言えます。

しかし、「苦しむ」という一言でまとめたのはワシだ。

わしにとって 苦しむことは 基本的に避けてきたことであり、普通の人以上にその経験が少ないし、緘黙症という状況が あらゆる経験を苦しく感じさせるから この表現をはめられる。



脱緘黙の流れ途中経過まとめ


6月にダメな~本を読む
  ・緘黙症の自分をダメなやつ と思ってなかった。正確には「ぼっち」という状況は寧ろ好きなのだと気付く
  ・「できないことはしなくていい」という言葉が支えになる

7月3日スマホを拾い、「できることをしよう」→メールをする。そこで思った 「世界は広くて美しい」(メリーゴーラウンド歌詞参照)
→それはつまり ぼっちが辛いものだということでもあった。人の温かさに触れると、ぼっちでは凍えてしまいそうにもなる。ぼっちの寒さを知った。
しかし、ぼっちという状況は好きなのである。ではどうしたいのか考えたら、それは緘黙症の克服であった。どうなりたいか?と言えば強いぼっちが目標なのである
→ダメな~本の影響で「しゃべることはできない。じゃあとにかく外へ出よう。それならできる」 ということでいろいろ経験し、社会経験値を増やそうと考える。(コミュニケーションツールとして)

→1か月の禁欲で緘黙症に耐える自分は強いんだ という優越感を盾に、自信に溢れる自分の姿を求める。=強くなりたいという気持ち

7月中旬までに 外へ出て社会経験(店・レジがメインか)を増やすとともに、それによって自分に自信ををつける。人より多くの経験をしているという優越感、これを俺は知っているという余裕、対人による精神的成長。つまり人格の成長の手段として 社会経験値を増やそうと考える
 

8月上旬 弱いぼっちから強者への過渡期というものを意識。其のために 人間的な成長(自己の深化)と今の表現での 「身だしなみ」をしようと考える これはダメ本の「ポケットを作る」という段に相当し、何かが起こる前にあらかじめやることで、何かが起こった時に取り乱さぬ心の余裕を持つため。あるいは、例えば筋肉であれば、優越感と、それによる余裕を得ることもできる。つまり、身だしなみは見栄えを良くすることと、精神的優越感と余裕をもたらす
→7月中旬から腹のだらしなさは改善しようと腹筋と腕立てはやってきたが、8月中旬から 重りを使って腕・胸筋も意識
→映画館や外食へ行ってみる

8月中旬(17、21) 身だしなみ 人格の成長 趣味など の3つの観点から自分を強くする考えに至る(そして今の段階では その人間を一言で表せば羨望の眼差しを受ける人である。)
も髪も肌もにおいも体型も筋肉も声もも毛も爪もマナーも作法も字の綺麗さも動作好き嫌い(飲食)もその他見た目いや、五感に関することはすべて身だしなみ。これらをすべて整えるのが最低限の身だしなみ。スタートライン。と考える。
→身だしなみは外見的なもの。人格の成長は内側の強化と理想の自我を追うこと。趣味などは純粋に自分のためという部分を含む項目で、人格の補強という感じ。

→脱緘黙のため、ファイトクラブのなんかの会みたいなのもいいかもと思い検索してみると、それはボランティアに関連があった。ボランティアにもさまざまな種類があることを知り、これも成長になりそうと思う。

苦しみが人を強くする(人格の成長) と考える。緊張や羞恥、困難・対人といったもの。また、この一連の脱緘黙の過程の先では生来の自我というものが損なわれているように思える。生来の根源的な自我がどのようなものであるのかも探したい。単純明快なことだが、緘黙症があったからこそ この一連の脱緘黙計画を考え、人間的に、弱者から普通になるのではなく、強者になろうと考えられた

8月下旬 先の3つの観点とは人と接することを前提としたアトラクティブな自分(=強者)づくりの方法だ。社会性動物である以上、人に評価されずに生きられないのだから、人から高い評価を受ける人物であれ。生殖本能・生存本能(質の高い生き方)的に考えて。 と考える。
人の考え方を理解するスキル(「趣味など」の1分野と言えるだろう)を身に着けたい。緘黙症経験を元に、いずれ克服した時、この経験から学んだことを他の人の励ませないか。もしできたなら、それは自信を持っていい特技・スキルであろうと。克服過程で 人の考え方 ということについても少し学んでいて、これが生かせないか?と。
本の利用について。本は咀嚼して自分のものにすればその内容について自信が持てる(本を鵜呑みにしてるだけかよ、というような声が無効化できる)。こうなるために、本の評価・要旨などのまとめをノートに書こうかと考える。



長くなった^^;


脱緘黙に至るのに重要な点だけ書けば

緘黙症ぼっち→ダメ本→スマホ拾い、赤の他人とメール。世界は広くて美しい。ぼっちは暗くて冷たい。→でもボッチという状況は良いので、緘黙症は克服して、強いぼっち、強者になろう。目指すは羨望の眼差し^^→身だしなみ、人格成長、趣味・特技の3点を鍛える。→人格は苦しみによって強くなる。積極的に苦しもう


こんな感じかな



まぁ~。

うーん


そうだね

やっぱ あのメールは大きかったわ


まぁ、友達というか
元から知り合いだったような人をのぞけば

実質
あのメールが人生で唯一まともなメールだったような気さえしてくる


まともなというのは、例として 大学入学後くらいに 少しメールありましたが、
あれは 素の自分でないという点でまともではなかった。

いや、7/3のメールも素の自分ではない部分はあります、しかし素の自分もいました。

そして、自分がぼっち と誰かに言ったのはこれが 口からメールから どっちも含んでも初めてだったと思う
(白銀鳥除く)


そのようなメールでした。

そんな素の自分に対して 侮蔑するでもない(心は知らんが、心のままであると信じてる)
そんな返信が来たことが 嬉しかったというか


すげー楽しかったwあ




うん。改めてあの出来事を思いだしたら、先ほどまでは 「スマホ拾い、メールしたことで変わった」 とドライに書いてて 自分でも 「あれ?本当にこの出来事がそんな起点きっかけになったのか?」 と思ってたけど

やっぱりこの出来事が大きかったんだなぁ、と痛感・・・


そういえば、前も書いていたね
「非ぼっちを経験した上でぼっちのほうがいいと言わなければ負け惜しみでしかない」 と。

想像の上でぼっちのほうが快適だと思ってる。
しかし非ぼっちも経験しなければわからんのだ。

当たり前だが、非ぼっちのすべてを否定しようとは一度も思ってない。
めくるめくリア充ワールドがあるのも非ぼっちの世界だろ。そこはね。


その非ぼっちへの憧れをややある焦燥ともに揺り起こしたのがこの出来事だった。
焦燥とは、単にリア充になるには遅い、というだけでなく、これから人格を成長させるのには遅すぎる という気持ちもあったから。
遅すぎたんだ。スタートするのが。特に人格成長という点だね。やっぱり趣味と身だしなみと比べても、圧倒的に時間かかるだろうからな・・・・

まぁ非ぼっち といういい方は曖昧だけど、負け惜しみを何とか これは負け惜しみでない!と言える程度に
色々な本に書かれているように (「孤独のチカラ」の単独者、やら、「好かれる技術」の孤高の月)、あえて友達が少ない程度にはなり、
そしてそれが非ぼっちであると 言い切る

そこにはぼっちの性質は間違いなくあるというか、基本的には今と変わらないと思う
しかしそれを非ぼっちであると言い切る。基準は羨望の眼差しを得たとき。

そしてその時に ぼっちやっぱ楽だわーwと言えたら それで負け惜しみは解消されると思いたい。



まぁ 「非ぼっち未経験がぼっちのほうがいい は負け惜しみ」という前提自体がわしが適当に書いたことなのであまりに気にしなくてもいいかもしれんが。




服も少ない、友達も少ない


しかしパワー




・・・・・・・・・



くろ鴉 「緘黙症ぼっちでーすw」
 
  ダメ本 「できないことはしなくていいよ。」 黒鴉 「じゃあ話すのやめるわwできないからw」

スマホ拾いメール →黒鴉「ぼっちでーすw」 誰か 「いいと思うよ」 くろ鴉「えっ」

くろ鴉 「世界は広くて…美しい・・・・」

くろ鴉 「こんな世界があるのなら、その世界に見合う男になるんじゃ」


くろ鴉 「強くなるぞ。強くなる」




まぁ、実質 ここまでしか進んでないか。まだ行動はほとんど起こしてないから。

いや、これは考え方の基盤で、基盤はこれでほぼ完成と言っていいかも。

後は 身だしなみ 人格の成長 趣味・特技 にうちこんで行くだけだ。


まぁ 今後はその具体的な方法などだな。今まで書いてきたことのほかにも、やっていく中で これもやってみるか ということを学んで 更に展開させていきたい。


人気ブログランキングへ
2012'08.25.Sat
色々本を読むが、

まぁ人と違うことをする というのが力だ



そんな内容の部分が結構ある

その点、成人で緘黙症という状況というのは やっぱりいいね
何度か書いたけど


力に繋げられる。



そしてコミュ力の本では これについて いきなり全部変えるのは大変だから、普通のことの中に 少し今までやらなかったことをやってみる というようなことを提唱している


これはいいと思ったね

例として 5本映画見るとして、そのうち1つは 今まで見る気がなかったものにする というのが挙げられているが

こういう 積極的に 苦労というか
新しいことに挑戦するのが良いと思うようになった

まぁ新しいこと=自分にとっては 大抵苦しみ なので

つまり 苦しみ=力になる ということなんですね。 前も書いたけど


要はドMの気持ちで人生を進もう というのが一つのテーマになる という話です。




その次のレッスン (章) には よりそれが明快に 「居心地の悪い場所へいく」 という内容が書かれています


まぁ、わしがこないだ書いた 「羞恥を感じる場所へあえて行く」 というのとは 少々ニュアンスが異なる内容ではあるが。



とにかく積極的に苦しむことが大事だ。積極的に苦しみを味わおう。おいしく。苦く

苦しみとは新しいことを体験すること、つまり挑戦だ
それが自分を強くする。今は多くの分野で0の状態。伸び白が大きい状態。

今までの人生は甘え。緘黙が苦しい?苦しみを知らないだけだ。


というか、緘黙は安定なのだ。アル意味、幸せといえるかもしれない

今日読んだ本でも 「幸せとはなんだ!?!?!??!?!?!」

結婚が大きなストレス という例を挙げて、幸せについて論じていたが、ならばわしは今の甘ったれた緘黙が幸せなのではと懐疑を持った


まぁ 今までの人生の中でも苦しい と思うようなことはあった。

簡単な例。美容室やその電話。

最初のころは抵抗が大きかった。
しかし 今は それほどでもない^^ 強くなったのだ。


このような経験をもっと大量にやって その緊張や苦しみを吸収していく
それぞれに慣れて、怖いことが減っていく

そして恐らくその先には、全体的に強くなる というような未来があるのではなかろうか。

まぁそれが この本でいうコミュ力みたいなもんなんだろうが


パソコン部の発表が 人生最大の緊張だったと思うが、あのような緊張だね
ああいうのをもっと経験しよう

経験しよう、と言うのは 今経験したいと思っているということだ。

そして、今後は 更に更に積極的に 「もっと大きな緊張はないのか!!!!!!!!!!???????????」 と言えるような状態になりたい。

まぁ、緊張だけではないですよ 緊張は苦しみの一つだからね。

「もっと俺を苦しませてくれ!!!!!!!!!!!!!!!!!」



^^;



という受動的なものじゃないよ。
そんなのは甘え。自ら苦しめ。自ら苦しみにいけ、自らを苦しませろ。

自ら苦しむ アル意味 自傷行為のような流れで経験を深めると言えるだろう。
精神的自傷


まぁとはいっても、直接に手を下すのは環境やら他者やら状況であるから

「もっと大きな苦しみを与える者はいないのか?」 という状況になればそれは良い



まぁ苦しみたい!と散々書いたが

苦しみを得ることは成長の一つの観点でしかない。


まぁ、コミュ力の本ではどうだったかしらんが、わしにとって この苦しみとは基本的に社会の中で受けるものと捉えてるので

苦しみによる成長=社会的な部分の成長 と考えている



もう一つの観点は例えば対人関係。

緘黙症やら 苦しんでいる人を助けるような人格者になれまいか。
このようなことをもし実践できるに至る成長ができて、

これを実践していけたなら まぁ社会的な人格の成長ももちろんあるけど、

「人の考え方」 という、思考的な ある一つのスキルを伸ばすことになるだろう。


これは この間書いた 身だしなみ 人格の成長(社会経験含む)  趣味など

の 趣味など に含まれる一つのスキルと考えられるね。

自分に付随する一つのチカラだ。


この三つの人間的力は、自らの探求(趣味)も含むが

基本的には、人と接することを前提とした、アトラクティブな自分を作るための要素と考えられるだろう。


要するに、これらを高めようとするのは、社会性動物の本能が、遺伝子が訴える自己愛なのだ




まぁ、なんつーか


厭世とも人嫌いとも言わないけど なんツーかな

今までは積極的に関わろうとしてこなかった


まぁ一言でいえば自分の殻に閉じこもっていたと言えるだろう

別にそれでいいと思ってた。


しかし 今になって気づいたようだ。やはり社会に生きる上で、その中で生きるために自分は強くならなければならないのだと。

社会で生きなければならないのだと。避けようがないのだと。


負けず嫌いの発動もあるだろう。


それがより強くさせるとは知らずに、できるだけ人とは違うことをやりたいとか、ほとんどの人はこうしている と聞けば
其れとは違うやり方をしたいとか考えていた。

結論を見れば、その道こそが強くするらしい。


そして、緘黙症というもの つまり、ぼっちの最たる原因は、明らかに人と違う道を行かせるもので、どうやらその道は強くなるのに適しているらしい。

ああ緘黙症に感謝したい。

ただ、その道をしっかりと踏みしめる準備がまだだ。
そのための準備が今やろうとしていることなのだ。



人気ブログランキングへ

追記

今読み直してみると 「興味のある分野」で感性を磨くことは コミュニケーションのツールにもなる と書かれていたね

わしの言っていることと同じだ

身だしなみ 人格成長 趣味など


の趣味などの 個人を際立たせるもの という部分だね。

身だしなみ=外見を整える  人格成長=中身を整える  趣味など=中身を強くする

2012'08.23.Thu
流れ

1時半ころ起きる

2時半出発

コンビニでおにぎり購入

3時40分札幌

シネマフロンティア 4:20から トータル・リコール


終わったのが18:30くらいだったかな で そこから


一言でいえば、ラーメンを食べた。 しかし色々長かった


そして、その後^^;


21時から アベンジャーズをみた。

18:30リコール →ラ ーメン → 21:00アベンジャーズ



誰か 「ラーメン食べるのに2時間かかったか?」



いやー^^;


まぁ、20:20くらいに劇場についていたけど
それでも・・・。




では詳しく書いて行きます。




コンビニへ行った。


入った瞬間、前いた店員がいることに気づいて 帰ろうかと思ったが

おにぎりを二つ買った。

筋子、初めて食べたけど意外と食べられるか。


レジ 「あれ?この間面接に・・」


黒鴉 「あ、はい」



覚えているだと・・・?


「面接に来ました」 「お疲れ様でした」

という5秒程度しか関わってないんだが

客の顔全部覚えてんの?




レジ 「あれからどうなったんですか?」


黒鴉 「あ、連絡まだきてないです^^;24日までに来るらしいですけど」


レジ 「受かるといいですね^^」


受かるといい・・・落ちる可能性あるのか、と怖くなった

そして、受からなかったら 今日きたのが恥ずかしいから


そして、電車待っている間におにぎり食べた



そして映画館へ。

ステラのシネマフロンティア




感想







小さいwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww



いや


本当に。


前回のIMAXのところの1/10くらいの広さじゃないの?と思ったわ


そして 音や画面も なんというか

ちゃちなおもちゃのようだ。


まぁ、IMAXの感想は 「映画の世界の中に入っている感覚」とか煽っておいて、大したことねーw と思った

んだけど、 IMAX凄かったのか と今回思わされたわ・・・。


テンションはダダ下がりで


開始30分くらいは つまんねー・・・・・・・・・・・帰ろうかな と本気で思った。


トータル・リコール

ケイトも変わっちまった。



そして見終わった感想


ツマンネー




いや^^;




まず 

「毎日同じ繰り返しだ・・・疑問に思わないのか?」→アイランド

「記憶ないけど強い。記憶を失う前の姿とは・・・」→ボーンシリーズ

「記憶の前の持ち物」→ボーンに加え、ペイチェック 消された記憶


など 重なるシーン・設定が多すぎた。

どこかで見たような・・・というのが多すぎて 設定 ストーリーはゴミ


ではアクションは、というと
これもわざわざ金払ってみるもんじゃないなと



というか・・・。


宣伝で 「記憶を買った男。それが運命を変えるとも知らずに」 みたいなこと書いてたんですが


そもそも 記憶買ってないからね



宣伝が嘘とかもうね・・・



コロニーの住人の記憶は 植えつけられたもので
「スパイの記憶かうわw」は、 確かにかうところまでは言ったが、その記憶を対価として得てないからかったとは言えないだろう。


最強のちょうぼうイン とかいう設定のくせして、


誰か 「忠実なしもべのころの記憶を戻してやるよ^^」

スパイ 「やめろ!」 とかね・・・ 記憶取り戻したかったんじゃないの?はぁ


ヤガミライトだと記憶を消された後、記憶を戻した先まで考えているというのに・・・はぁ 弱い



★★☆


映画館で見てこのテンションの下がりようは初めてだ





そして、映画見終わった後

かなりあるきまわりました


ここを描写しても ただあるいているだけとしか言いようがない



結局 ラーメン食べました。



はい。


えーと


まぁ、ラーメンね。

意外と一人で来ている人 いるか
3人くらいいたな

女性も多い そのうち2人も




まぁ、ラーメン

スープ全部飲んだわ^^

おいしい 


しかし安いね。

前回はうどんに餅入れただけのやつが1000円超えてた


しかし今日のラーメンは750円^^




まぁ、ぼっち飯 という新しい試みが始まりつつある


ぼっち飯で 今まで食べたことのないものを食べてみる 身だしなみ
そして 一人で食べることで単独者としての精神力を高め、店を知る 社会経験を増やすことができる。




疲れた。


まぁ、食べた後ね。

ATM

イオン銀行ATM


手数料取りやがってチクショー


そして映画館。



「なに見よう」



アナザーって洋画?
字幕って書いてないから邦画か



はあああああ


アベンジャーズしかない・・・しかし この映画微妙な感じがある・・・


しかしみなければATMの手数料が無駄になる・・・・・・・・・・・・・ということで見ることにしました。

メンズデー1000円^^

IMG_0080.JPG

空いてるw



そして見ましたが


まぁ、なんで前半けっこう堅い感じでやってるのに 後半はネタを織り交ぜてきたのか。

そこに冗長性を感じる



まぁビックリしたのが
スカーレット・ヨハンソン出てるwwwwwww
と。


好きな女優3人が一気に見れた。3つの映画で。

そのうち2人は知らずにね。


あ、因みにアベンジャーズは2D板ね


ウィ気ぺディアによると


、『アベンジャーズ』の初週末成績は2012年の『ハンガー・ゲーム』(1億5250万ドル)、2008年の『ダークナイト』(1億5840万ドル)、2011年の『ハリー・ポッターと死の秘宝 PART2』(1億6900万ドル)に匹敵すると見られた



少なくとも、このそうそうたる面々に匹敵するような映画ではないだろ・・・内容的に考えて・・・

という感想を持ちました。ハンガーゲーム知らないけど。


アイアンマンだけが目立っていた

この手の映画だと ウォッチメンでは登場人物のバランスが取れていて素晴らしかった


まぁ映像はね。


映像は良かった。アクションは良かったよ。



★★☆




そして電車で帰ってきました。


まぁ思ったのは。
かんもくの話しね


今までは 経験値1ずつでも増やしていこう と考えて書いてきたが

それではダメだなと



理由1:経験値1得るのに 今日も4000円ほどかかった。 割に合わなさすぎる。お金が足りん

理由2:数年前からこの努力をしているのならいいが、今からやるのでは遅すぎる



ということで

何か、経験値をもっと一気に得られるようなことをやらねばならんなと思いました。


では 今日や前回は無駄になったかというと そうではない

学んだのだ このままではいかんと。





おにぎり食べたけどおなかが減っていたので、ポップコーンをと思ったけど
ポップコーンでは高すぎる と、下の無印へ行って何かないか探していた。


その際、香水の匂いが漂った。



ぐう・・・


この匂い


ドルチェの

シシリー・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・?




その人のファッション

とげのついた帽子

赤黒のボーダーのハイソックス

大きいサングラス 等ゴスロリ的要素もありつつ
モード感もあった



まぁ、あんまみてないけど^^;


あんまみてないけど それぞれ 安っぽい質感ではなく

その風貌に相まって シシリーの香らせていることに気付いた時、素直にかっこいいなと感じました。



まぁ、香水はわからんけど^^;確実ではない


カロリー的に考え、チョコを買った
150円で600キロカロリー^^おいしい

後 日向夏のソーダという飲み物もかいました。


まぁ、


正直に言って 日向夏=ひまわり と誤読していて 「ヒマワリの果汁ってなんだよwwwwwwwwwww」と思っていました・・・

はい・・・・・・・・・・

向日葵 日向夏・・・



匂いは完全に 精油のオレンジスイートと重なる


まぁ、350mlで137円 微妙に高いけど普通においしかったです。

こういう日用品に限ってはこの「デザインコンシャス」も認められると わしは考えています。


ビンみたいな形のペットボトルだったんですけどね。



そして、今からドーンオブザデッドみますよ^^
ダビングしたDVDがあれば。

何故この映画か
理由は感想の際に書いておこう



まぁ、丸一日が潰れましたけど
その価値があったのかどうかと問うたなら

そんなもん今だけでは決められないんだと
得意げな顔をして言いきろう

立ち回り入り乱れ食らいつく Selective mutism


2012SPARK 歌詞参照


selective mutism=場面かんもくしょう


人気ブログランキングへ
2012'08.21.Tue
腹の肉をどうにかしよう ということで1か月ちょい前から腹筋始めた とは書いたけど


腹筋自体が趣味化してきた


というか、肉 減らんぞ?

まぁ1か月ということで 

期間が短いだけという可能性もあるが


逆に増えとる


他腕立て伏せも一緒に始めていたと思いますが、

数日前 2,3日前から
部屋の片隅にあった、重り

脚につける奴 があったので それを使って
腕と大胸筋を鍛えよう としているが


大胸筋に負荷、かからん^^;どうやるんだ。




腕はいいけどね。

しかし腕、服のアームが細すぎるので 前腕は全く太くしたくない と考えている

そうすると


難しいね^^;


前腕にも負荷がかかってしまう




このように 腹筋からスタートしたけど 広がりを見せています


今は ミーハーな感じがしつつ、昭仁さんもやっていた
コロコロ


を買おうか検討中


プロテインも買おうか(効果のほどは知らんが) 検討中


という段階です



まぁ見た目から変えるというのは昔ながらのやり方で

これによって自信がつく という効果がある


それは見た目ということもあるし 精神的にだな。


今まではまぁ

アウター着る季節は良いが、夏は 多少コンプレックスになりそうな部分だったからね
特に細い腕は (太くすると服が着られなくなるジレンマもあり)


そこを改善して、精神的な余裕を確保


単独者、孤高のぼっちとして 侮蔑の視線から
羨望の眼差しへ変えるのが目標であり、 


服で着飾るのと同様、これも一つの手段である。





こう書くとだいぶ痛いですが^^;


羨望


というのは 今までも何度か書いたけどね

今までのコンプレックス 苦しみを経て、このようなものが欲しいと強く感じるようになりました


嫉妬でも良い^^




というか なんつーかな


だらしない体に対して、まともな体にする ということでしかなく

最低限の身だしなみ という感じだわ

引き締まった体を作ることはね。






その他 体のケア


最低限の身だしなみだ


見た目は当然だが、 匂い、声も含まれる



声は変えるの難しいかもしれんが 喋り方というのも含まれる。



爪を切るのと同じレベル


そしてわしは この最低限を目指しているということです。
まともな人間としてのスタートラインに立とうという意向による。




・身だしなみ

・人格を育てる (性格や社会経験を通しての、社会的な生き物としての能力というか、社交性というか。身だしなみが外側を改善することとすると、人格を育てるのは 内側を改善・強くすることといえる)


そして最後に 趣味やらの部分が自らを高める。



身だしなみ・人格というところは 社会性の動物としての義務というか、社会で生きる上で、周りを意識して改善せねばならぬ点。
趣味やらは 自分のためにやる という点だね。


こういうところを意識して 成長し 脱緘黙に至りたいと考えています。


人気ブログランキングへ

2012'08.17.Fri
誰か 「何故カテゴリが脱緘黙か?」


わしは前から見た目から入っていくことが多かった。

例:サッカー


まぁそれは寧ろいいことだというようなことが、コミュ力だかダメな自分~本で読んだ。



そして、ファッション、服も自分に自信をもたらすものとして、緘黙症克服の一助になっているものという観点から、このカテゴリに入れた



まぁ、アウター、バッグなどが完成して、もうちょいで全体的に3シーズンのワードローブが完成ということなので、その前にまとめておく。
一部は紹介するが、前も書いたように そこブランド性は意義を持たないはずだと自分に言い聞かせるためにブランドは書かない

IMG_2602s.jpg


デジカメね。
買ってからしばらくするとこのような画質になる。


さて、このハンガーラックにゆとりを持たせて3シーズン分の服をのせられるような数にしたいと思っている。


シャツが写ってるがこれはイメージです。実際の1軍とは異なります。



均整がとれた、バランスの良いワードローブというものを意識している。


それは アウター3 靴3 ボトム3 インナーその2~3倍(つまり6~9) という原則の話です


誰か 「ん?アウターは2つしか写ってないし靴、ボトム1しかないね。」


そうだね
アウターは同じのを買う予定、ボトムは写ってるのを2本分と考える。 靴はまだ。

因みにベルトは1本のみで、マフラーは2から4
バッグは4の予定

インナーは シャツ2~3 ジップアップ2 ポロ2~3 という感じにしようと思ってる。
ポロシャツを通年使うという試みに挑戦しようと思っています。視線が痛いかもしれん。


IMG_2611s.jpg


遠近的な理由で大きさが同じくらいに見えるが、右のが小さ目。

レザーを茶で統一している。


まぁ真ん中のが 昨日届いたやつね

夜、一緒に寝ました。


一緒に寝るという行動からも分かるように、これらのバッグというか
寝たことある右と真ん中は女だと思ってる。

いや、バッグに性別があると仮定したらの話。


しかしだ。


次に買うリュックは相棒 という感じの存在になると思っている。
つまり0軍のバッグだ。

最終的にこれメインになれば成功だよ。いろいろ。


これらのバッグを選んだ理由。


左のバッグ

コットンであるにも関わらず重厚な雰囲気があった。よく見るとただの安物ではないことがわかる・・・そういうのが好きだったから。

右のバッグ これも同じような観点から選んでいる。ヌバックという素材を選んでいるのはそのため。カーキのショルダーストラップもカジュアルな感が強くていい。


真ん中のバッグ これは冬の使用をメインに考え購入。次に乗せる茶のコートとあわせることをメインに考えた。これも当然上の二つと同じような観点で選んでいる。その結果ウォッシュ加工のオイルドレザーとなっております。


左のバッグは ほとんど使っていない。しかし後悔はない。そんなバッグ。旅行などで使うようなサイズだ。



IMG_2605s.jpg



まぁ、今は2つだが、さっさと3つにしたいところだ。

まぁさっきから茶のレザーで統一、などと書いているが
アウターも茶・ライトキャメルと暖色で揃えているのはいうまでもなく 服を減らすための手段


右のボアブルゾン
やや薄手だが温かいので、春秋には使いやすい。冬にも中着こんで使いたいところだけど、アームが細すぎて、難しい一面も。
まぁ、ポロシャツ、シャツの上に羽織って春秋に使うのがベストですね。


左のミドル丈ピーコート
着丈は約80だったかな。背中のラインが綺麗に出てやや細身のシルエット。
ダークブラウンのコートはそれほど多く見ない。ウール100%の生地は滑らかというより粗雑さも感じられる。
アームがこれは太いのでリフォームしようと考えている。
まぁコートとはきれい目という印象があるが、他の服との使いまわしを考え、カジュアルにというか着崩すような着方で通すのが、この少ない服ワードローブ流だと考える。
がさつに重ね着をして冬をしのぐ そんなイメージで着たい。

IMG_2618s.jpg


デニム
緩め。
雨に打たれて かわくまで履き続けるという日もあったが、ヒゲの定着は薄い
本日5回目の洗濯。これは洗う前に撮った写真です。

ボトムはあとネイビーのコットン系のを買おうと思っています。やや細身の。

ボトムが このデニムで2本分 とさっき書いたけど その意味は穿きこむためということである。
アウターの数に合わせ3本買うと 履き込みに支障が出ると考えた。


まぁ靴はわざわざ書かなくてもいいか
後買おうと思っているのがチャッカとレザーとコーデュラのコンビのブーツ

チャッカは迷ってるが
後者は冬の使用を考え購入を決めた。

それはさすがに冬にスニーカーは貧乏臭さがあると思ったためだ。

「毎日ほぼ同じ服」をみすぼらしいとは見られてもいいが、貧乏臭さはまた違う


それはつまり 「リュックwwwwデザインwwwwww」と見られても 何か存在感あるものが一つあれば リュック自体も全体の中で違って見えるような そんな目標の達成のためともいえるだろう


まぁ、このワードローブに関してまとめると、どれをどう組み合わせても良い という感じ と言える。

まぁ一部 デニムのバッグにコート など微妙と思うものもあるけど 大体は合わせて恥ずかしいと思う組み合わせがないと自分では思っています。




誰か 「じゃあ コートにその太いデニム、コーデュラ・レザーのブーツ という合わせ方もするんだな?」


まぁ、先の理由でコートにスニーカーということはしないけど
この誰かの組み合わせはね、これくらいカジュアルに着崩してもいいと思ってる。

この少ない服の信念を持ってるからこそ 別にそのコーデで恥ずかしいとは思わない。予定。


まぁそれでもコートにリュックということはしないと思うが。リュックの色もコートとあわせないことを考えて決めてるし。
まぁコートは1軍、ブルゾンは0軍という違いがあり リュックは0軍専用という括りがあるのでね。


チャッカは蛇足気味ではある。それは否めない。

アウターの数は3(種類は2)だがボトムは2 では靴の数をボトムにあわせ2にすれば チャッカは買わなくても均整を保てるのではないか。

しかし靴を休めるという観点から もう一つ加えることはいいだろう

それがチャッカである理由が難しいところ。

カジュアルにも使えると思ったからなのではあるが 少々ドレス感が強いような気もする。即ちこのワードローブの中で異端で邪魔者になりかねないわけだ。
まぁ、ものを選べばこの憂慮は晴れるのかもしれない。まだわからん。

そして、チャッカであれば きれい目という別のワードローブとの兼用もできるのではとも思った。
まぁ、少ない服ワードローブにおいてもきれい目寄りの服装の時に使える使おうと思って選んでるけど。
細いネイビーボトムという選択もきれい目よりという考えがあったからだ。

ただ、カジュアルにもとはいってもあえてデニムとあわせるような使い方はしないかなぁとも思っている。


0軍→カジュアル しかし、1軍の靴やらボトムとも合わせられるので細身できれい目も作れるよ。
1軍→きれい目 しかし0軍の靴やらボトムやらとも合わせられ、その時にはドレスダウンしたような服装もできるよ。

きれい目→きれい目 靴は1軍のチャッカを持ってくるか
アウトドア→アウトドア


要はそれぞれに基本のスタイルがあると考えればまとめやすい

つまり0軍→ボアブルゾン デニム スニーカーorブーツ
1軍→コート 細身パンツ チャッカ

ということだ

混ぜたスタイルがあると言っても ボトムが2なわけだから 組み合わせは限られる


-基本-
0軍→ボアブルゾン デニム スニーカーorブーツ (リュック)
1軍→コート 細身パンツ チャッカ (ボストン)


0 ボアブルゾン 細身パンツ チャッカ。もう一つのブーツでもいいだろう。
1 コート デニム  ブーツ (冬のためスニーカーは候補にない)
  

つまり靴アウターボトム の組み合わせは、たったの5つしか存在しない

まぁデニムにチャッカ という合わせ方をすれば増えるが、これはあえてこう合わせる必要がないように思うなぁ。あとコート細身にブーツというのも除外した。これもちょっと中途半端な感じがする。まぁ実際にやってみて最終的に決めよう








いいね^^



人気ブログランキングへ



追記


一応 2軍 という存在にも触れておこう

まぁトップスもいくつかあるけど まぁこれは大したことないので
アウターとボトム

ボトムはね 黒ボトムやグレーボトムというかなりのお気に入りの服もここに含まれている。
アウターはダウンだね。

やや個性的なデザイン性で、上にあげた靴のどれとも合わせられない存在感がある。

そしてこのダウン、腕がものすごく動かしやすいんだよね
デザインも気に入ってるし 質も上々 このような軽さ、動かしやすさがあるにも関わらず2軍でしか使えないというのが悲しい。

二軍でしか使えないという意味は、そのうち捨てることになるということです


うーん・・・。

まぁ、コート カジュアルに着崩す とは書いたし、一見お洒落を意識しないスタイルではありつつ、多少はお洒落を考えてるというのが0,1軍。
その基準が 前開けで着れるか というところにあり、ライダース風の前のこのダウンが当時の1軍から落ちたのは この基準のせいだった。

当時はお洒落性を気にしていたわけだが

今それを気にしない つまり前全閉めで着る用なのがこのダウンの役割とは言えまいか


そして昨日だったか ボランティアにこんなことまで含まれているのか というような出来事があったように


アウトドア にもいろいろなことが含まれているだろう と考える。


そうすると このダウンは オリーブダウンに次いで二つ目のアウトドアワードローブのアウターに設定すればいい と思いました。
オリーブダウンは森の中を歩くようなアウトドアを想定していたが、このネイビーダウンはもう少し対人的な使い方になるだろう。

そして、このような使い方と割り切れば リュックも背負える。そしてリュックは背中を暖かくしてくれる。^^

というか0軍というのはアウトドアに近いものがあるな。

しかし0軍には そこに信念のようなものがある。アウトドアは機能性を重視しているのに対し。


学校へ行く程度であれば このアウトドアの服装というかアウターで行くのもありだなと思えてきた。
学校=アウトドア ^^;

まぁアウトドアワードローブ、意外ともっと使っていってもいいかなと思えた。


というか学校へ行くときこそ、楽な格好のほうがいいだろうと
即ちリュックで両手をあけて、てぶくろして、アウターを脱いで楽に授業を受ける
ダウン以外だと着込んでるから 脱いでも動きづらさとかあるかもしれんが、ダウンなら中も薄めでなんとかなるか。

ふむ。

冬はアウトドアファッションで学校もあり、と。

いや、ここで言ってるのは、巷で言うアウトドアファッションではなく 便宜的にアウトドアと書いてるだけですよ

まぁ冬はアウトドアファッションで学校もあり というかね。
春秋夏にアウトドアファッション用の服はないし、あったとしても機能性 つまり動きやすさは 別に大差ないだろと。
防寒性は普通の服で十分だし

だから 単に アウトドアファッションが入る余地が冬だけにあったというだけなんですね





オリーブダウンに対し、ベージュN3Bという存在もありました。

コイツの好きなところは肉厚なボア、存在感のあるファー 味のある加工
風情がある。

なんとかこのボアをオリーブダウンにつけられないか ファーをつけられないか

そうしてできたオリーブダウンは最高傑作になるはずだ と考えているのですが、うまくはいかなさそうだね。


2012'08.17.Fri
セガール主演の映画でもあったけど
印象的なのがファイトクラブで 色々 会に出てるけど

ああいうの、緘黙症克服のためにやりたいなと思っていたけど なんて検索すればいいんだ


と悶々としていた



そして、自閉症の人と接するボランティアというのを聞いて そんなのあるだと?とびっくりしたよ。


まぁ、緘黙症と自閉症ではタイプが違うかもしれないが、緘黙症と自己診断するまでには自閉症という言葉を意識した時もあった


その流れで、ボランティアを調べてみると、そのような会に近いのがいろいろあった


ボランティア・・・就活のネタのための機会
あるいはそう思われるのが嫌なので避けていたが、意外と・・・。

まぁしかし、他にも調べてみると よりそのような会に近いのがあったが、やっぱ抵抗あるなぁ これ・・・。
そして、そういうの探すのはまだ大変なままだ。

当たり前だが このような機会を得るためならお金は払ってもいいと思ってる。
ボランティアの中でも 有償 として書かれているものがあって、そりゃある罠と思ってたら、逆に給与がこっちに支払われるというものでびっくりした。


というか映画やらなんやらで実際にすでにお金払ってるしね
(あの価格は映画鑑賞の対価とは思ってない)



まぁ今までは 「ボランティア?ゴミ拾いとかかい?^^」と思っていたが、多少世界広がったかな




人気ブログランキングへ
2012'08.17.Fri
再考というか、前回の投稿でも思っていたことだが、書かなかった部分


まず 自分が 「単独者」かどうか

その一例として書かれていたのが 「授業を一人で受けに来ている人は驚くほど少ない。その中にはたまたま友達がいない人もいるだろうから、自ら単独者の門を叩いた人はもっと少ないだろう」


これは どうだ~?と思った。


誰か「いやお前友達いないんだろ」


まぁまぁ。


白銀鳥と授業を受けに行こうと思えば、行ける授業は多くある。

しかし実際にはそうしていない。この理由が肝心で

理由はそうすることで得られるメリットがないという考えから。

つまり単独者として参加することによるメリットを享受するためではないのだ。



どうだ~


そして、孤独でなければ自らの泉を掘り下げれないとかいう内容があったけど

これについて。


この文を読んで気づいたが、今 自分を変えようとしているが、二つの側面から考えられるな ということ。


一つがこの本に書かれているように(内容は異なるが) 知識や趣味といった領域

もう一つが 人間的な成長ですね。


アイデンティティの成長と補強 という感じだ。

緘黙症の克服は自我そのものを直接的に変化させるイメージ
それに対し、単独者としての行いは 自我を補強 土台を積み固めるイメージ(まぁ、これは前はやっていたことである)


この二つの側面から成長していこうと思ってる。



この場合、緘黙症が自我の礎であり、それが私を強くさせた と考えることができる。


つまり 苦難はやはり 人を強くする ということだ。

緘黙症という礎による自我、それを彩る 形作る趣味・勉強等


なるほど、しかし、生来の自我というものは何なのか。
それを探す旅に出たい。

旅はジョークンですが、本当の自分とはなんなのか。

緘黙症があったから、いろいろ行動しようという気になって
それは確かに成長させるかもしれない

しかし、緘黙症がなかったら。

流れは


本来の自我→緘黙症という自我→緘黙症を礎にした自我 

それらを形作る趣味・勉強など

ということか。

緘黙症自体がすでに自我を変化させたと考えられる


緘黙症を礎にした自我というのが理想であり目標の自分ね

で、そこには緘黙の陰があってもいいというか、あるべきだという話。
この陰こそが ぼっちを好む自分なのだ




人気ブログランキングへ
2012'08.14.Tue
昔は対人恐怖や社会不安 というキーワードで本やらを見たりしていたが

今は違うんだよなー


不安症を治す―対人不安・パフォーマンス恐怖にもう苦しまない (幻冬舎新書) [新書]


人前に出ると不安で息苦しい。人が恐くて学校や会社にも行くのもイヤ―そんなあなた、ただの「内気」ではなく「社会不安障害」という病気かもしれません



不安というわけでも怖いわけでもない

他人の目を気にして 一人でランチできないわけでもない



コミュ力の本でだったろうか、高級ブランド店へ行ってみるとかそういうのあったけど
そういうのは怖いと思うがね
ばちがい感


ただ単に 会話することが怖いというだけだ


そして普段、人前に出るときに恐怖を感じないのは 会話する気が0なので 会話への恐怖がないということです。

会話を放棄しているので、その恐怖が消えた。


まぁ会話を放棄したのはもう数年前のことになると思いますが、ダメな自分を救う本で言えば、できないことはしなくていい ということに当てはまるのではないか?と。

いいことだ。



そして このような場合、どのような本が適切か と色々見て行くと

人が怖い ~自分を変える! 対人コミュニケーション改善法~ (マイコミ新書) [新書]

この本のレビューを引用



森田療法や認知行動療法では、心を健康にすることが目的だとすると、
この本は、実際のコミュニケーションの場で、どのように振る舞えばいいのか、という“より実践的な手解き”が書いてある。


この内容だね。


実践の具体例が欲しいと思ってるし


心の問題はあるだろうが、それは実践により認められることで改善するだろうと予想がついてる




そしてさらに言えば別に苦しんでるわけでもないし、今の環境も気に行っている

まぁ。苦しみが0と言えば語弊がある
苦しい場面はあるが、常に沈んでいるというわけではないということだ。

今の環境というのはぼっちのことね

いいと思ってる。


しかし。


ぼっちはいい。

いいが、非ぼっちを経験したうえで やはりぼっちのほうが良かった と言わないと 何の説得力もない。

誰か 「説得力って・・・誰か説得するつもりなの?」


そうだね

ぼっちを苦しむ人へのヒントを言えるようになりたい
そう思っています。


だからこそ、非ぼっちも経験したいという点が一つと

もう一点言いたいのは、対人関係って楽しいな と思ったんです


7/4

スマホを拾い、メールをしていて 思った。


今でも あの日は懐かしく思うよ。楽しかった と。

あのように自分が認められることが嬉しかったし、こんなに優しくしてくれる機会もあるのだと


一例として


誰か 「このメール見たら返信ください」 (前回のメールが数ヶ月前)

黒鴉 「久しぶりwww」

誰か 「え?あれ?」



ここら辺www


黒鴉 「自分 ぼっちなので・・」


誰か 「私も友達少ないですが、友達はやっぱりいいと思いますよ」



この流れww

誰か、特定の人に 「わし ぼっち」 と言ったの コレが初めてだったと思うが

このような優しい反応があるのか・・・と 

今思うと泣けてくる・・・ とかきつつ笑ってますが



このやり取りで重要だったのが わしが上にいたことだ
優越感とは言わんが、相手のスマホを人質代わりにすることで 自分の立場が安定しているような気になれた。


このような保証が 今のわしにとって 必要なものなのかもしれない。

保証がない限り 行動できない・・・今はね



非ぼっちの経験、対人の楽しさ


しかしながら、既に見えている

対人の鬱陶しさというものが。



一方的に利用できるならいいが
縛られることを考えたら、ぼっちのほうが差し引きプラスだろうと考える。



羨望

自分が上に立てばよい話しだ

自分が下にいるから自信が持てない

優越感を得れば自信が生まれ、その自信が自分を変えるはず

そう考えている。






人気ブログランキングへ
 HOME : Next »
カレンダー
09 2017/10 11
S M T W T F S
2 3 4
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31
プロフィール
HN:
黒鴉
性別:
男性
自己紹介:
北海道に住んでます。
この人生日記では、日記とか、たまに写真とか、メモとか書いています。
カウンター
今見てる人
ブログ内検索

人生日記511~ wrote all articles.
Powered by Ninja.blog * TemplateDesign by TMP  

忍者ブログ[PR]